今から5年前、新聞奨学生をしていた妹が朝刊配達の際に交通事故に遭いました。
場所は住宅街のT字路。早朝5時近くで目撃者はいませんでした。
新聞奨学生をするまで原付に乗ったことのなかった妹。原付は車の運転とは様子が異なります。さらに重い新聞の束を前カゴと後方に積んでの運転。
制限速度未満のノロノロ運転で恐る恐る乗車していたそうです。
その日は、雨上がりの朝でした。道が滑るからといつも以上に慎重に走行していた妹は、T字路に差し掛かると、他の車がいないからと停止線の遥か手前方減速。
恐る恐る左右を確認し、左折しようと原付を進めました。
意識が戻った時、妹は地面に座り込んでいたそうです。
雨上がりの地面で新聞が濡れることに気づき、慌てて拾おうとしましたが立ち上がることができない。
男の怒声に顔を上げると、少し離れたところで車の傷を確認する50代くらいの夫婦と思しき男女が半ば喧嘩のような状態で会話していました。
事故に遭ったのだ。あの車に原付ごとはねられたのだ。
倒れた原付と散らばった新聞を見つめながら、徐々に自分の置かれた状況を理解した妹は、ポケットからスマホを取り出すと警察に通報しました。
警察へのこの事故に関する通報は妹からの1本のみで、加害者は警察への通報も救急車の要請もしていませんでした。
妹に目立った外傷はなく。
にもかかわらず臀部の激しい痛みでまっすぐ立つこともできず、歩くこともままなりませんでした。
「尻を打ちつけたための打撲でしょう。」
通報を受けて駆けつけた警官の一言で、救急車も呼ばれることなく、簡単な実況見分のみでその場は解散となりました。
それから1週間。妹の体調は日に日に悪化し、10日後には自力で起き上がるとも食事を取ることもできなくなっていました。
病院へ行き検査を受けた結果、仙骨不全骨折と診断され、そのまま入院しました。
退院後も妹の体調は戻らず、病院を転々とし精密検査を重ねた結果、脳脊髄液減少症を発症していたことも明らかになりました。
そんなころ、保険会社から連絡が届きました。
先方の前方不注意、および妹がT字路で一旦停止せずに飛び出してきたことによる出会い頭の交通事故。
双方に責任があるので妹の過失は4割とのこと。
相手方は停止線を無視してスピードを上げて突進してきたにもかかわらず、あたかも妹が停止線を無視したことによるとの判定でした。
妹の過失は1.5割が妥当であるはず。知人の伝で弁護士を依頼しました。
いかにも頼りなさそうな若い弁護士でした。
当時妹は金髪のショートヘアで、アメリカのロックミュージシャンのような身なりでした。
「そのような容姿の方なので、警察の心象が悪かったのではないか。停止線で一旦停止したという妹の証言は記録に残っていない。」
弁護士の言葉に愕然としました。
「それは事実ではありません。真実を明らかにしてください。」
何度も懇願しましたが「警察が実況見分にこう書いている以上どうしようもありませんね。争うより、和解する方が得策です。」。
こちらの話に相槌を打ちながらも、最後に出る言葉は同じでした。
弁護士は、ドラマのように弱いものの味方で、真実を暴いてくれる人。
そんな妄想はあっさりと裏切られました。
本当の弁護士は、面倒な書類を書いてくれるだけの人でした。
裁判にも結審まで毎回出向きましたが、妹の弁護士は何も発言はせず。
裁判官に発言が何もないのか?と問いただされ、しどろもどろに発言するも、小声で何を言っているのかもわからない状態。
交通事故の裁判は保険会社が主導権を握っている。
保険会社が決めた過失割合にイエスという意外に道はないのだと痛感しました。
結局、妹が4割の過失で裁判は結審。
妹には後遺障害により二度と車両を運転できない体と、弁護士に対する不信感だけが残りました。
双方の弁護士も、裁判官も、普通のサラリーマンでした。
弁護士は、ただの書類作成屋でした。
弁護士さんが助けてくれる。
そう信じた妹は、突きつけられた現実と残された後遺症に、今も苦しんでいます。